日本橋三越に行ったら、丹波の栗を売っていたので、うれしくなって買ってきました。
大村さんは、栗がかなりお好きだったとみえて、栗について、あれこれと書き残しています。
今回は記述を基に栗ご飯を炊きます。
日本橋三越に行ったら、丹波の栗を売っていたので、うれしくなって買ってきました。
大村さんは、栗がかなりお好きだったとみえて、栗について、あれこれと書き残しています。
今回は記述を基に栗ご飯を炊きます。
春先からの新型コロナ騒動で、京都に帰省するわけにもいかなくなり、まもなく夏が終わります。夏が終わるまでに、大村さんが書き残した夏の、おばんざいを少し作っておきたくなりました。
先週、仕事で大阪出張があり、これ幸いと京都の実家にも数日、滞在してきました。
今回も、大村さんのゆかりのお店や名所を巡る中で、新たな発見がありました。下鴨の「てづくりとうふ すがい」さんです。
大村さんは、おばんざいのレシピを数多く残しています。
文面からは自分たちの食べていた料理を、正確に残したかったというよりも、
なぜ、その料理を食べる習慣があったのか、食材や料理にどんな意味があったのか、といった京都の文化・風習の記録としての意味合いが強かったように思います。
今回は大村しげさんとメディアの関係について、考えてみましょう。
大村しげさんを紹介するときに、ほとんどの場合「おばんざいの」と前置きが付きます。
朝日新聞での共同連載『おばんざい』が、その後の方向性を決定づけたのですから、
それも当然と言えるでしょう。
1月20日は骨正月です。
こればかりは、もはや失われた習慣と言っていいでしょう。辞書には掲載されているけれど、読んでもどうもピンと来ません。朝日新聞出版発行の『とっさの日本語便利帳』には、「正月用の魚をこの日までに食べてしまい、残った骨は正月最後のご馳走になる」とあります。こちらも、やっぱり、ピンと来ない。