1月20日は骨正月です。
こればかりは、もはや失われた習慣と言っていいでしょう。辞書には掲載されているけれど、読んでもどうもピンと来ません。朝日新聞出版発行の『とっさの日本語便利帳』には、「正月用の魚をこの日までに食べてしまい、残った骨は正月最後のご馳走になる」とあります。こちらも、やっぱり、ピンと来ない。
大村さんは『ほっこり 京ぐらし』、『京 暮らしの彩り』などで、骨正月について紹介しています。
昔は正月に買い物ができなかったため、暮れに新巻鮭や塩ぶりを買い込んで正月に備えていました。この前提が理解できていないと、辞書の説明だけを読んでもピンとこないわけです。
鮭は裏口の外などに荒縄でぶら下げて、少しづつ切っては食べて正月を乗り切ります。やがて、食べ進んだ、ぶりや鮭の身がなくなって、あらだけになったものを20日に大根と一緒に炊いて片づけたというわけです。
大村さんの記述によると、嘉永2年(1849)に出た『年中番菜録』には、すでに骨正月について書かれていたとのこと。
大村さんの家で、昔ながらの骨正月を続けていたのは母親の代まで。物流が発達し、お正月にもお店が営業して買い物ができるようになったのですから、骨正月の習慣が失われたのも無理はないと思います。もはや、どんな旧家でも、この習慣を昔と同じ形で継承しているおうちはないでしょう。
彼女自身は、油っこいものが苦手なので、生のさわらと大根を炊いて、骨正月の代わりにしていたと記述があります。
今日、私は大村さんと同じくさわらと大根を炊きました。
調味料は薄口醤油だけ。ちょっと頼りないのでは?と思ったけれど、ほんとにそれで美味しく炊けました。試すときは、醤油は、思っているよりも少量でよいと心得てください。ちょっと時間はかかるけど、こない簡単で美味しいものがあるとは、ええことを教わりました。