今回は大村しげさんとメディアの関係について、考えてみましょう。
大村しげさんを紹介するときに、ほとんどの場合「おばんざいの」と前置きが付きます。
朝日新聞での共同連載『おばんざい』が、その後の方向性を決定づけたのですから、
それも当然と言えるでしょう。
しかし、初期の作品群を見ると、『京の着だおれ』(秋山十三子さん、平山千鶴さんとの共著)、『京の手づくり』、『静かな京』など、京都の食以外にまつわる著書も見られます。
これらの本では、着物、工芸(一部に食も含まれる)、寺社仏閣を中心とした歴史などが語られ、おばんざいとの関りは希薄(もしくはエピソードによっては皆無)です。
その後の著述は、飲食にまつわる情報が増えていき、「おばんざいの」の前置き通りの人物像に、なっていきます。
大村さんは、京都の古い食習慣だけでなく、歴史や工芸品など非常に幅広い分野に関心があり、取材とはいわないまでも民間の研究者や学者との交流をうかがわせる文章も、時折見受けられます。
初期の大村さんは京都の語り手として、広い分野について書くチャンスが与えられたし、彼女自身もそうした執筆を望んでいたはずです。
ここで私自身が、出版に関わる人間だから、余計に分かることがあります。
当然ながら出版社は、売れる書籍・雑誌を発行するのが社是です。
大村さんの著作は、特に食にまつわるものの売れ行きがよかったに違いありません。
工芸や着物、歴史の情報は、どうしても読み手を限定してしまいます。一方、食は万人に共通の話題であります。
ヒット本を狙う出版社の思惑として、食についての執筆の依頼が中心となり、求めに応じているうちに”おばんざいの”大村しげさんになってしまったのではないでしょうか。本当はほかの分野でも、多くのことが書ける方であったにもかかわらず。
また、書籍よりも影響力の大きいテレビや雑誌は、いま注目されている人物や話題を取り上げて、反響が最初から見込めるものを紹介します。
そうなれば、メディアには”おばんざいの”大村しげさんとして登場するのが当然で、著書を買ったことのない人にはなおさら、おばんざいの人との印象しか残りません。
家庭画報.comの取材で、末富 三代目の山口富蔵さんから興味深いお話をうかがいました。
山口さんによると、大村さんは「おばんざいという言葉は好きではない」と何度もおっしゃっていたそうです。
この点について、どのようにとらえればよいのでしょうか?
ここからは私の個人的な推測です。
連載『おばんざい』によって、死語となっていた「おばんざい」なる言葉が復活。
ところが、言葉が流行してしまい、おばんざいは本来の家庭の総菜(おかず)の意味を離れて、居酒屋のメニューのようになって、もてはやされ、本来あるべきはずの家庭から姿を消していった。
言葉が独り歩きをして、本来の意味を知りもしない人たちに、流行りごとのように扱われていたのが、腹立たしかったのかもしれません。
少なくとも、私ならば、そう感じます。
いまも、京都の町中では「おばんざい」の触れ込みを多々、目にします。
大村さんが望んだかどうかはさておき、1964年の「おばんざい」連載から55年経ってなお、「おばんざい」の言葉は今も生き延びることができました。
その一方で、言葉の意味や、3人の女性の連載の功績が忘れられつつあることを、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思います。