大村しげさんは、『京暮し』(暮しの手帖社)のなかで、信楽焼の紅鉢について短い随筆を残しています。紅鉢とは、日常生活に使われていた大小さまざまの焼き物で、開口が大きく、縁の部分に厚みをもたせた形状をした器です。
彼女はおかずの下ごしらえや食材の保存、切りづけを漬けるのに使用していました。また、幼少期に海苔を買いに行くと、お店では紅鉢に入れた海苔が並んでいて、そこから取り分けて販売されていた様子も描写されています。
当時は現在のプラスチックのボウルや保存容器と同様の使われ方をしていたとお考え下さい。
著述で紅鉢の外見の特徴を説明しているのは以下の通り。
「さし渡し三寸ぐらいの小さいのから、一尺の余もある大きいのまで、いろいろとある」
「口が大きいて、ふっくらと丸みをおびた紅鉢。なにより重たいので、どっしりとすわりがよい」
(ともに京暮しより)
現在、インターネットで「紅鉢」を検索すると、ヒットするのは茶道具の紅鉢ばかり(これは別物)。実態が分かりにくいと思っていたら、ありがたいことに京都芸術大学のwebマガジン「アネモメトリ」にて、わかりやすく解説なさっていました。
https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/essay/5770/
京都では昔から、友禅屋さんが、これの小さいので染料をといたので、紅鉢というのんや、と。いかにもみやこ風な名前である。
(京暮しより)
肝心の信楽の現状はどうなのかと、調べたところ、一つの窯元さんが、普段は作っていないがオーダーメイドで作って下さるとのこと。丼くらいのものと、ご飯茶わんくらいのものをお願いして、2か月ほど待ったら出来上がってきました。
仕上がってきたものは食器としては、軽くて非常に使いやすく、素朴な雰囲気もあって気に入りました。毎日のように愛用しています。
しかし、口元のふくらみが細く、重心のバランスなども、昔の紅鉢とは、かなりニュアンスが違うようです。現代の作家さんが、アレンジなさったということもあるのかもしれません。
いずれにしても、私はこれを手にして信楽における伝統的な紅鉢が、すでに途絶えてしまったことを理解したのでした。
一方、下の画像は、私が以前から使っていた愛媛県・砥部焼の伝統的な器。特に紅鉢の名称で売られてはいません。しかし、下部に重心を持たせた構造(これが砥部焼の特徴でもある)や、口元の厚みなどは紅鉢の特徴と同じように思えます。
砥部焼のフォルムは、まるっきり当時の紅鉢と同じものなのでしょうか?
なかなか、実像がわからない器だけに、形状については京都や信楽で食器店のお年寄りを探して、直接、聞くしか手がないようです。私の調査はまだまだ終わりません。