夏のおばんざいとして大村しげさんが『大村しげの京のおばんざい』(中央公論社)で紹介した、唐がらしの焼いたんの調理動画を作成しました。
動画作成にあたり、唐がらしについて発見したあれこれをご紹介します。
いつも夏になると万願寺とうがらしを食べるのを楽しみにしています。関東でも普通に流通しているので、見たことのある方も多いのではないでしょうか。
今回の動画も万願寺とうがらしで調理しようかと思ったら、大村さんの記述には万願寺とうがらしについて書かれていない。そもそも、とうがらしについての記述も『大村しげの京のおばんざい』にあるだけで、あまり大きなボリュームではありません。
ひとまず、動画では、伝統野菜である伏見とうがらしを使いました。
動画の食材はともかく、万願寺とうがらしが気になったので、京野菜の詳しい本を参照してみました。
『京の野菜記』(林 義雄/ナカニシヤ出版/昭和50年発行)、『聞き書 京都の食事』(社団法人農山漁村文化協会/昭和60年発行)ともに、とうがらしについて記述がありますが、万願寺とうがらしの具体名は見当たらず。
一方でJA京都のホームページでは、万願寺とうがらしが、万願寺甘とうとして紹介されていて、そのなかに発祥は京都府・舞鶴で大正時代に生まれたものと記載されています。また、「伝統野菜の『伏見とうがらし』と日本海を経由して伝わったと思われる古いアジア系品種などとの自然交雑から生まれたのではないかと考えられています」ともあり。
いずれにしても、農産物としての歴史はあるけれど、1970~1980年代には、京都の町中で、あまり流通していなかった様子が見えてきました。ずっとあるものと思っていたので、これは意外な事実。
さらにもうひとつ『京の野菜記』の「京都から産地が去って行った野菜」の項目に興味深いお話が書かれていました。この項で、田中とうがらしが紹介されています。文面によると田中村で作られていたとのこと。田中村ってどこ?と思ったら、現在の左京区でした。地名には今も「田中」とつく町名が残っています。
この田中とうがらし、「ししとうがらしともいって」とあり、写真を見ると、いまでいう「ししとう」でありました。林先生の文章によると、概要は以下の通り。
・明治以前から作られていた。
・辛すぎて一般に受けず、料理屋向けだった。
・一時期はウラジオストック(ロシア)にまで輸出されていた。
・昭和12年頃に一般に売るのをやめて、牧嘉三郎氏により自家用に作られていたものがあったが、それも疫病の被害により、昭和26年で途絶えた。
いまでは他所で作られている、ししとうが、京都で生産されていたのはつゆ知らず。京都市情報館の情報によれば、市内で生産している農家があるようです。
また一つ賢くなりました。