西陣青年の家

年末年始に帰省した時、下調べの最中、御池大橋に高山義三・元京都市長のお名前を見つけました。

御池大橋の石碑。高山元市長の名が添えられています。

高山元市長は昭和25年から16年間、在職し、任期中に青年たちの交流施設「勤労青少年ホーム(通称・青年の家)」を京都市の各地にお建てになりました。
大村さんは西陣青年の家に職員として約7年勤務。このときの若者たちとの出会いが、のちの彼女の知識や興味の幅を大きく広げています。当時の青年の家の利用者以外にはあまり認識されていませんが、実は青年の家は、大村さんの執筆活動に非常に大きな役割を果たしていたのです。

青年の家は、高山市長が欧米を訪問して、各都市を巡った際、イタリア・ローマで見かけた青少年の施設が原型となっています。
当時の旅の記録は「市長の欧米訪問記」(高山義三後援会、1959年)にまとめられています。
京都市中央図書館に、この本が所蔵されていたので、読んでみたところ、簡単に現地の施設の様子などが書き記されていました。

大村さん自身は「静かな京」(講談社)の中で、西陣青年の家の思い出や、施設の誕生した背景を記述しています。
西陣青年の家は少なくとも2000年までは、存続していたようで、2000年2月8日の京都市長の記者会見で移設の話が語られています。

かつて西陣青年の家があった船岡山公園。

船岡山公園に立っていた西陣青年の家は、とうの昔に取り壊されてしまいました。現在、青年の家は京都市青少年活動センターに発展しています。

中央図書館や京都市北青少年活動センターに足を運んで尋ねてみたけれど、青年の家の歴史や概要を公的に残した記録は見つかりませんでした。
図書館にわずかに残されていた、当時の配布物や会報のようなものは、いずれも大村さんの時代からずいぶんと後のものばかりです。
施設についてなんら公的な記録がまとめられていないのが惜しい。

しかし、当時、青年の家に集っていた方々とお会いした限りでは、施設が利用者にとって、非常に思い出深く、かけがえのない存在であったのは間違いありません。

活動の準備段階でお会いした親衛隊(当時、大村さんを支援していた青年の家の利用者)の方々や、家庭画報.comの連載で取材した田丸弥の吉田さんから、お話を伺ったときに、それがとても伝わりました。https://www.kateigaho.com/food/rensai/18321/

「人から受けたものは、必ず人に返さんことにはいかんといつも思うている。(中略)そやから、親やら先輩たちに教えてもろうたもろもろの知識は、次の世代の人たちへ、ちゃんと伝えておく義務が、わたしにはある。(中略)私はこの職場で、少しは人さんからの借りを返したつもりでいる」(「静かな京」より)

ご興味のある方はぜひ、「静かな京」をご一読ください。