日本橋三越に行ったら、丹波の栗を売っていたので、うれしくなって買ってきました。
大村さんは、栗がかなりお好きだったとみえて、栗について、あれこれと書き残しています。
今回は記述を基に栗ご飯を炊きます。
さて、九月はまだまだ残暑が厳しいけれど、八百屋さんの店先で「丹波栗」と太筆に書かれた札をみると、やっぱり秋である。
『京暮し』より
一部ですが、栗の料理について、下記のような記述が見つかります。
『おばんざい 秋と冬』(河出文庫) くりご飯、栗のふくめ煮
『冬の台所』(冬樹社) 栗ご飯
『京暮し』(暮しの手帖社) 栗ご飯
『京の禅寺と精進料理』(佼成出版社) 含め煮、渋皮煮、栗ご飯
『京のおばんざい』(中央公論社) 栗の含め煮
※表記は原文ママ
おおむね、栗ご飯について書かれている内容は、栗をむいてそのまま使う方法と、焼き栗を使う方法があるとの調理の紹介です。
焼き栗を使うと、こうばしいと親切な解説が見受けられます。
では、記述に従って調理にかかります。
栗は一晩水につけておいてから調理します。鬼皮(硬い外側の皮)は、お尻に一文字に切り込みを入れて先に向かってむき、そのあと、丁寧に渋皮をむきます。
包丁のかかとを軽く押し込むと切り込みがしやすいです。
『京の禅寺と精進料理』では、すり鉢でお米を研ぐ要領で栗を洗うと渋皮がきれいにめくれることを解説しています。
そのあと、栗は4つくらいに割って、お米に塩を入れて、一緒に炊きます。どの本にも、塩の量は書いていないので、2合で二つまみほど入れました。
また、『京の禅寺と精進料理』のレシピだけは、お酒を2%入れるとあり、今回はそれに倣っています。といっても、私は目分量でこなしました。
今回も雰囲気重視で羽釜で炊きました。
私の実家では、栗は粒のまま、入っていたけれど、大村さんの記述では4つくらいにカットすることになっています。おばんざいは家庭料理なので、その家ごとに違いがあっていいのです。
ケチなのではなく、栗が家族全員にバランスよくいきわたるための配慮なのでしょう。
大村さんは、調理法に合わせて、栗についても解説をしています。
栗には一粒栗、二粒栗、三粒栗があって、いがぐりのなかでいくつ育っているかによって見た目が変わるわけです。
一粒はコロリとしているし、二粒は向き合って育つから片面だけ平たい。三粒栗は真ん中で左右から挟まれているため、両面が平たい。
栗は無茶に大きすぎてもあじない。中ぐらいの一粒栗はいちばんおいしいのやと、教えてもろうた。
『京のおばんざい 秋と冬』より
9月の栗はまだ出始めです。栗は秋の深まりとともに風味が変わります。
九月の栗は、まだ珍しいだけで、甘味はないけれど、十月になると、丹波の栗はぐんと味がようなる。
わせの栗は、ただめずらしいだけで、栗の甘味も少ないけれど、日に日にほんまの味がのってきて、秋やなァ、と、うれしィなる。
ともに『冬の台所』より
「わせ」とは早生と書き、出始めのものを言います。
栗は収穫時期によって、早生、中生(なかて)、晩生(おくて)と、表現します。
大村さんは『京暮し』で、栗ご飯におすましと、ホウレンソウのお浸しがあれば文句は言わないと書いています。
旬の栗ご飯はそれほどおいしいのです。また、十月にさらに甘くなった栗を食べてみたいものです。
今回の京ことば
あじない:美味しくない