鹿ケ谷かぼちゃ

日本橋三越の食料品売り場に”鹿ケ谷かぼちゃ”が売られていました。1個 1500円也。
鹿ケ谷と書いて”ししがだに”と読みます。

鹿ケ谷にある安楽寺の紹介とともに、大村さんは『静かな京』『京のおばんざい』(中央公論社版)、『京 暮らしの彩り』、『京暮し』などで鹿ケ谷かぼちゃについて説明しています。

安楽寺では毎年7月25日に、かぼちゃ供養が行われ、中風のまじないとして、たいたかぼちゃが参拝者にふるまわれます。

著述によると、もともとは200年ほど前(※)、当時のご住職に霊感があり、夏の土用のうちに鹿ケ谷かぼちゃの供養をしたら諸病退散(特に中風)のまじないになるというお告げを受けてはじまったとのこと。

※著述は約45年前のものなので、いまからだと約250年ほど前ということになります

このかぼちゃ(京ことばで”おかぼ”)の由来についても、大村さんは紹介しています。

いまから百七十年ほど前、文化年間に、鹿ケ谷村の庄兵衛と又兵衛というお百姓が、粟田口の玉屋藤三郎という農夫の方から、津軽より持って帰った種をもろうて鹿ケ谷の地に播いたのが始まりやそうで、数年続けて作っているうちに、ひょうたん型のができたという(『静かな京』より)


大村さんの幼少期には、かぼちゃはみな、この瓢箪型であったそう。

それが、知らん間に姿を消して、もうめったに見かけんようになってしもうた。鹿ケ谷かぼちゃがそれである(『静かな京』より)


まだ昭和の初めごろまでは、産地を洛北・衣笠の地に移して、一般に出回っていた(『京暮し』より)

『静かな京』が書かれた時点で、すでに鹿ケ谷でかぼちゃは作られておらず、市原の増田宗一さんがただ一人、おつくりになっているとも紹介されています。

安楽寺があるのは東山如意ケ岳のふもと。哲学の道(写真)周辺です。


かぼちゃは夏が旬です。

大村さんの幼少期には、これを台所の天井にぶら下げて、冬至まで残していました。
冬至にいただくかぼちゃはおいしくないけれど、渋々食べていた様子が以下です。

夏のおかぼはむっちりと甘うて、おやつにでも食べるくらいおいしかったのに、冬至のかぼちゃは水くそうて、おなじかぼちゃがどうしてこう味のうなるのか、ふしぎであった。それでも、これを食べんことにはお正月が来ィひんので、無理やりに飲み込んでいたのを思い出す(『静かな京』より)


さて、このかぼちゃを、実際に調理してみました。調理法は、『京暮し』に従っています。きれいに洗って、半分に割ると、種は下半分にだけついています。

種をくり出したら、ぶつ切りにして、面を取って皮の傷んだところ以外は、皮の付いたまま調理します。
皮は普通のかぼちゃよりも柔らかく、調理がスムーズでした。

おかぼはぐつぐつと水だきをして、お砂糖をほんの少うしと、うすくちのおしたじで味をつけて、地がつまるまでたく。こげつかないように、おなべの底へ、おちょくを伏せて置くとよい。水気の少ないおかぼはもちもちとして、甘い。(『京暮し』より)

できあがったかぼちゃは、普通のかぼちゃよりもあっさりした印象で、確かにおいしい。

季節によって、調理法の紹介が、少し変わります。夏の甘さに近づける工夫でしょう。

冬至のおかぼは、お砂糖をぎょうさん入れて、甘かろう炊きあげる(『おばんざい 秋と冬』河出書房新社より)


7月25日きっかりに食べられたらよかったけれど、この出会いも運のもの。
もし、機会があれば、夏のうちに、調理してみてください。